基礎工事
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人の優劣を決めるのは学力だけではありません。
昔「偏差値というモノサシで人の価値を決めるな」などと、よく言われたものですが、
未だにそういったことでしか判断できない、見識の狭い方がいらっしゃるようです。
逆に、学力のある人をとことん扱き使って、人間扱いしない、劣等感のカタマリみたいな人もいます。
私は、とあるバイト先を1日で辞めたことがあります。
自慢できる話ではありませんが、そこの責任者が、あまりにも「学力劣等感」のカタマリだったからです。
面接の時から「?」とは思っていたのですが、まず履歴書を見るやいなや「随分変わった経歴ですねぇ」
と楽しそうです。
大学出て、別の大学に学士入学してるのが、そんなに珍しいか?とか思っていたら、
教員免許を持っていることに、非常に興味を持ったようでした。
中学・高校の教員免許を2つ持っているのが、気に障ったんでしょうか。
教職課程を採ったり、採ろうとした方ならわかるかと思いますが、
「中学の免許を採るなら、高校も採っちゃえ」というのが大半なんではないかと。そうでなければ高校だけ。
学校によっては中学しか採れない場合もありますが。
一緒に面接に来ていた中年の女性も、結構な高学歴で、私より俄然世間一般の評価の高い女子大卒の方でした。
2人とも採用され、初日、行ってみて既に働いている人たちの話を聞いてびっくり。
「高卒は採用されない」とのこと。さらに、いる人たちのほとんどが六大学以上で、
「よく私採用されたじゃん」な世界でした。
初日なので、裏方の説明やらも受けるのですが、そこで、責任者はこう言い放っておりました。
「あいつはバカだから使えない」「早稲田のくせにバカだ」こればっかり。
その名指しされていた本人はどうかと言えば、真面目にさっさか業務をこなしている。
たまたま、3つ年下の、幼なじみがおり、ちょっと聞いてみたところ、
「学業優先でとか言っているけど、学校の話なんかしたら、テスト期間中見計らってシフトを入れられる」とか
むちゃくちゃです。はっきり言って呆れました。
そうこうしていると、早速先の中年女性がひどい怒られ方をしています。「○○大卒のくせに」とか。
やっと放免されて、泣きそうになっているところに、別の女性が来て、
「あの人、高学歴いじめが趣味なのよ。みんな怖くて言えないのよ。私は今日で辞めるからもういいんだけどね」と。
それを聞いて、幼なじみは「わぁ、○○さんまで辞めちゃうのかぁ」と考え込んでいました。
こんな田舎でこれだけお客さんが来ているのは、真面目なバイトのおかげじゃないのよ、とさらに呆れ。
責任者は裏で、携帯でくっちゃべっているだけで、何かしているわけではありません。
たまに来たなと思ったら「あいつ俺の悪口言ってたか?」ですと。
教育に携わる者として、言ってはいけないであろう言葉に「ばか」がありますが。
言っちゃいますが、この責任者、相当バカでした。
「バカの下では働けないわー」ってんで、1日で辞めさせてもらいました。
ただ、今まで必死でやってきたんだろうな、とは理解できるのです。
基本的な英語が読めない、極端に学歴を気にするあたり、学力がなく、進学できなかったか、
何らかの事情で進学できなかったのでしょう。高校も卒業できているかどうか、少々怪しい感じでしたし。
でも?だから?それは人間性には関係のないことです。
「高学歴は偉い」を擦り込まれたであろう、30代の某レンタル店の店長さん。学歴偏重社会の被害者ですね。
「人は学歴じゃない」という人間には2種類いて。
本当に人間そのものを認める人と、自分にないモノを認めたくない人と。
前者ばかりなら、実力如何で能力を開花させることも可能でしょうが、
どうやら日本の場合、後者が圧倒的多数のようです。
きっと、偏差値というモノサシで計られることが嫌だっただろうに。
自分の価値を、それだけで計って欲しくなんかなかっただろうに。
なのに、自分でそのモノサシだけで人の価値を判断しているなんて、皮肉です。
ミイラ取りがミイラ、なわけ。これをバカと呼ばずになんと呼べばよいのやら。
このレンタル店、未だにあるようです。事ある毎にバイトやパートの募集をしています。
新人指導は、経験者のバイトが行い、何かのミスは気に入らないバイトに押しつけ、辞めさせ、を繰り返しているからでしょう。
ミスはその責任者の、本社への報告ミスであるとか、たまたま責任者がレジ打ちしたミスの苦情とかなんですが(最悪)
業種的に入れ替わりが激しい、とも言えなくもないですが、地域的には、入れ替わりは激しくなんかないはずなのですが。
原因があるとすれば、この責任者の、無責任さ、怠慢さ、卑屈さでしょう。
外面だけをよくしても、誰もついていきません。きちんと「学んで」いる人間なら、
そんな「つまらない人間」から、学ぶべきモノはないので、去っていって当然です。
反面教師にはなり得ますが(苦笑)
もし、「高学歴は偉い」なんて擦り込まれていなかったら?
彼は一体、どんな人間になったんでしょうか。
教育は、学力をつけるためだけのものではなく、
人間を育てるためのものでもあるはずなんでは?と。
学ぶ場所は学校だけではないし、教えてくれるのは、年上年下、教員免許の有無を問わず、
誰でも先生になり得ます。ペットの犬や猫からだって、学ぶべきモノはあるんです。
「坊や~、一体、何を、教わってきたの♪」(激古)です。
学校で教えてくれないことは、自分で学ぶしかないわけです。
学校へ行かなかったから、知らない、なんて言い訳です。
なんでも誰かが教えてくれるモノだと思うあたり、甘いですが。
だからといって、基本的な初期教育も与えないのは、上に立つ者、親、教育する者にとって、
怠慢以外のなんでしょう?基礎がしっかりしていれば、上に何を建てても平気なわけです。
ガーデニングで言うなら、まずは土壌が大事っと。しっかり根付けば、後は勝手に伸びるんです(笑)
・・・たまに、違法建築に走ったり、立ち枯れさせたりとかありますが(爆)
それは、上に立つ者、親、教育する者の責任ではなく、本人の責任だと思いますけどね。
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